December 5, 2009
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築地本願寺が荒木にオファーvia blog-imgs-12.fc2.com — mocrlbmut 


2007-12-08

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築地本願寺が荒木にオファー

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2007-12-08
November 26, 2009

11月22日、東京・神保町の日本教育会館で「メディア 翼賛化と可能性」と題するシンポジウムが出版関連労組交流会議の主催で開かれました。講師は映画監督・ドキュメンタリー作家の森達也さんです。

 最初に、東京新聞記者の望月衣塑子さんが「検察不祥事に自己規制するメディア」と題し、検事が組長と取引して銃事件捏造を図ったという事件についての報告がありました。この事件を記事にしたのが東京新聞と朝日新聞だけであったことに対し、望月さんは、記者クラブ制度の弊害などを指摘しながら、検察に対して自己規制するメディアのあり方に疑問を呈しました。望月さんのお話のあと、森達也さんが「世界が完全に思考停止する前に」と題し、講演を行いました。以下にその内容の要旨を報告します。

「世界が完全に思考停止する前に」森達也さんのお話 | <center>講師の森達也さん</center>
講師の森達也さん
●森達也さんのお話

日本中にセキュリティが蔓延している
 空港でライターを2個以上持っていると没収されます。1個ならよくて2個はなぜよくないのか、その理由がわからない。大きなビルの入口に「特別警戒実施中」と書いた看板が置いてあります。なにが特別でなにが特別でないのか、関係なく恒常的に置いてある。JRや町中にもあります。山形に行ったとき、海の家が3軒しかない海水浴場に「テロ警戒中」と書いた看板がありました。海の家がたった3軒しかない所にテロリストがいるんでしょうか。

 日本中にセキュリティが蔓延している。いつからこうなったのか。1995年に阪神淡路大震災があって、地下鉄サリン事件があった。テレビでは朝から晩までオウム関係の番組が流れていました。当時、僕はフリーランスで、テレビ報道やドキュメントをやっていました。企画を持っていってもオウム以外採用されない。それで、被写体としてオウムの荒木浩広報部長を撮りました。ちょうど坂本弁護士一家殺人事件で、TBSが坂本さんの映像をオウム幹部に見せていたことが発覚し、メディアに対する批判が起こっていました。

 上層部から、江川紹子さんや有田芳生さんをレポーターにするか、オウムの信者を撮るなら同じ分量の被害者を撮れと言われました。レポーターを使ったことがないし、被害者の場合も、すでにたくさん撮られていたので、必要なら撮るが保留ということで返事をしたら、「森は危険」ということになりました。フジの系列だったので、フジがダメなら日テレやNHK、テレビ東京もある。どっかでやってくれるのではないかと思いました。オウムの中に入って撮っていたのは僕だけだった。でも、どこもダメでした。それで映画になった。泣く泣く自主制作です。

 「A」を撮ったあと、「A2」を撮りました。国内では動員がダメでしたが、海外で評価されました。ベルリン映画祭など、いろんなところに呼ばれて行きました。みんな日本の観客やメディアが関心を示さないことを不思議がっていました。食えなくなり、本を書かないかと言われたので、映画のために本を書いた。テレビも札付きになり、映画も撮れない。生活のために書いていますが、もともと書くことは嫌いではありませんでした。最近は書くほうが中心となっています。映画は4年間撮っていません。

なぜオウムのドキュメントがテレビで放送されなかったのか
 なぜオウムのドキュメントがテレビで放送されなかったのか。「A」の感想で一番多いのは、「オウムの信者があんなに善良で優しくて純真だと知らなかった」というもの。しかし、これではダメ。メディアがオウムを語るときの論調は、凶暴・凶悪な殺人集団。もう1つは、麻原に洗脳され自分の感情を失ったロボットのような集団。このどっちか。それ以外、語れない。かれら信者が善良で優しいというと、えらいことになる。でも事実。現場のディレクターはみんな知っていた。僕らと彼らは変わらない。だから彼らは人をたくさん殺した。

 宗教というと、いろんな要素があります。僕たちの中にもその要素がある。マスメディアはそれを消化できない。視聴者にしてみれば、善と悪の境界が溶解する。あんな悪いことをする奴らと自分たちの境界が溶けてしまう。怖い、悪い奴らであってほしい。それに対し、メディアは逆らえない。その結果、凶暴・凶悪な集団、悪質な組織となる。本当はそうではない。善と正義と優しさで人は人を殺す。

 もしかしたら欲とか利権で人を殺すのは数人が限度ではないか。でも、正義で殺す場合は限界がない。そういう怖さを人は持っている。オウムはそれを僕らに教えてくれた。だが、メディアがそれをつぶした。とても通俗的な、大衆が好むとおりのストーリーにした。その結果、社会が変わった。この事件によって不安と恐怖に火をつけられた。

治安は悪くなっていない
 なぜ怖いのか。1つは、動機がわからないこと。なぜ彼らはサリンをまいたのか。その理由がわかっていない。一応、裁判では間近に強制捜査があるから目をくらますためにサリンをまいたということになっている。言い換えれば、万引きが見つかりそうになったから人を殺しましたということになる。明らかにバランスがおかしい。どこかで納得しきれない。その状態が続いている。

 なにが怖いか。わからないから怖い。オウムの場合、なぜ人を殺すのかわからない。身近にオウムの親戚やアルカイダの友人や北朝鮮の工作員がいない。だからわからない。では、どうすればいいか。メディアに頼る。僕らに代わってメディアが教えてくれれば、恐怖や不安は半減するかもしれない。ところがそうなっていない。テレビで北朝鮮の脅威はないと言ったら干される。視聴率が下がる。テレビだけでなく、新聞や雑誌も同じ。危機を煽るほうにいく。その結果、メディアは右傾化させようとか、戦争をさせようとか意識のないままに、競争原理の中でそっちの方にいってしまう。

 不安、恐怖。オウムから12年が経ち、いろんなシステムが変わった。99年に国旗・国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法、有事法制、ガイドライン、少年法などが決まった。少年法については、背景に少年事件の凶悪化があり、厳罰改正となった。しかし、少年犯罪は凶悪化しているのか。戦後もっとも凶悪だったのは59年~63年だった。殺人については、55年~56年のピーク時に1日平均8.4件。いまは3.2件~3.3件。人口が増えていることを勘案しても、治安はよくなっている。

 少年事件が多かったのは、団塊の世代が少年だったころ。その世代が大人になってから、危ないと言っている。その結果、法律が変わった。メディアが危ないと言い、意識が変わり、法律が変わる。去年の殺人事件は年間約六百数十人。水難事故死は千人以上。監視カメラやポスターやテロに予算をつけるより、携帯の浮き輪を配った方が国民の命が助かる。セキュリティはあった方がいいが、一極集中的セキュリティは問題が起こる。テロ対策、特別警戒、おまわりさんの数や職質も増えた。

不安と恐怖が高まると二元化が進む
 それでみんな平和になっているか。逆に不安が増している。不安が高まったときどうするか。敵が見えないときが一番怖い。どうするか。敵をつくっちゃう。敵をつくって鋳型にはめ込む。仮想敵をつくることで安心する。倒錯しているが、戦後のアメリカはずっとそうだった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソマリア、戦っている間は安心。その繰り返し。連鎖の構造。日本も95年以降そうなってしまった。そこに9.11が起こり、より世界的な形で不安と恐怖にはまった。

 これはいじめと同じ。なにか1つ異質なものを見つけ、みんなでそれをたたく。たたいている間は安心で、そのときは同質。それで安心かというと、今度は報復が怖くなる。いつかやられるかもしれない。だったらやられる前にやれ。これが戦争で、いじめと同じだ。最近保守の人があの戦争(太平洋戦争)は自存自衛の戦争だった、間違っていなかった、と言っている。半分正しいが、戦争は間違っていなかったというのは間違い。戦争は全部自存自衛。他国を侵略し、領土、労働力、資源を盗る。やらなければやられる。自分は家族を守るために正当防衛だが、はたから見れば侵略だ。

 不安と恐怖が高まると二元化が進む。左か右か、前か後ろか、善か悪か、自衛か侵略か、どっちかじゃない、自衛もあれば侵略もある。矛盾が人間であり、現象であり、営みだ。だが、矛盾に耐え切れない。メディアがそうなってしまう。わかりやすく、とことん二元化する。その方が数字が伸びるから。メディア自体は日本を右傾化しようという意図はないが、結果としてそうなる。

 ドイツのナチスも同じ。アメリカやイスラエルもそう。日本もそうでしょう。ほかの手もあったけど、目がいかなくなる。セキュリティですね。その結果、自分の身を守るつもりで先に手を出してしまう。いまの北朝鮮もそうですね。怖くてしょうがない。怖くてしょうがないハリネズミになっているときどうするか。少なくとも蹴ったり殴ったりしてはいけない。違う方法もあるはずなんですが、そっちに目がいかない。

なぜオウムがあの事件を起こしたのか
 大事なことをまだ言っていない。なぜオウムがあの事件を起こしたのか。それがわからないままにしてしまったのが大きな問題です。なぜあの事件が起きたのか、最近なんとなくわかってきたような気が僕はしています。まず、去年9月、麻原彰晃の死刑が確定しました。1審で確定するという異例の事態。毎日新聞からコメントを求められたとき、「とんでもない。なぜ2審、3審できちんと審理をしないのか。さらに麻原をちゃんと治療をしないのか」と言いました。

 翌日の新聞を読むと、識者とされる4人の中で僕だけでした。1審判決確定はおかしいと言ったのは。ほかに江川紹子さんなどがいましたが、みんな死刑は当たり前という意見でした。町の声も20人ぐらい載っていましたが、全員死刑は当然、早くやれ、というものでした。毎日新聞社に電話をして確認したら、記者も驚いていました。そういう意見だけを載せたのではなく、アンケートをとったらそういう意見が出てきたので、そのまま載せたと言いました。

麻原は典型的な拘禁障害
 麻原を見たのは1回だけです。判決のとき。見た瞬間、これはダメだと思いました。ずっと同じ動作を繰り返している。頭をちょっと触る、鼻に手をやる、膝に手を置く、お尻をかくような動作をする、にっと笑うような表情になる。少しおいてからまた頭に手をやる、鼻に手を置く……。これをずっと繰り返している。これは拘禁障害の典型。昼休み、司法記者に聞いてみた。みんな口を揃え、「ダメですよ」と言った。ズボンをしょっちゅう替えている。失禁、脱糞している。麻原は自分がいまどこにいるのかわかっていない。

 朝日新聞と週刊現代に、麻原を鑑定しろと書きました。鑑定を一度もしていない。あれだけの事件を起こして、あれだけの死者を出して一度も精神鑑定を受けていない。弁護士も検察も裁判所も言わない。麻原は1審の途中で意味不明のことをしゃべっていた。普通はあの段階で精神鑑定。だれもそれを言わなかった。醜い言い逃れとか、詐病とか決め付けていました。記録を読むと、麻原は3時間も意味不明のことをしゃべっていた。詐病で3時間もしゃべり続けることができるでしょうか。

 1審で精神鑑定をしなかった。弁護側は控訴し、精神鑑定を求めたが裁判所が認めなかった。弁護側が5人の精神鑑定医に接見してもらったところ、5人とも重度の拘禁性障害と診断し、3人は治療をすれば治ると言った。裁判所は御用学者の精神鑑定医に鑑定させた。その鑑定医は、詐病であると診断した。根拠は1つ。精神科医が麻原の前でエンピツを振ると、初日は反応しなかったが、3日目につかんだ。よってこれは詐病である、つかめる能力があるのに初日はそれを隠していたからだ。これが裁判で通り、鑑定として公式に認定された。麻原は詐病とされ、期日までに控訴趣意書の提出がないので控訴の意志なしとされて死刑確定。すさまじい。

なぜあの事件が起きたのか、僕らは知るべきです
 なぜあの事件が起きたのか、僕らは知るべきです。麻原がどこまでしゃべるかわからないが、少なくとも治療をして、法廷の場でしゃべらせるべきです。それすらもしない。ただもう吊るせ、殺せ。日本中がオウム化した。なぜあの事件が起きたのか。1つはセキュリティの問題があります。

 オウムの幹部たちに接見しています。林泰男さんや早川紀代秀さんたちに月1回面会し、文通もしています。林さんから聞いた話ですが、(刺殺された)村井秀夫さんと2人で屋外作業をしているとき、ヘリが飛んでいた。村井さんは麻原に電話をし、「尊師、いま米軍のヘリがきている。サリンを撒こうとしています」と言った。林さんはそれを聞いていて、「バカか、こいつ」と思ったそうです。まず、そのヘリが米軍のヘリかどうかわからない。あそこでサリンをまいたらどんなことになるか。そう思ってもステージが違うから言えない。

 側近が我先に、「尊師、自衛隊が」「尊師、いま警察が」と報告していたようです。麻原は目が見えない。情報の真贋を確認できない。しかも最終解脱者だから本当かどうか確認できない。(最終解脱者ならすべて)わかっているはずだから。言われたことは全部受け止めてしまう。その結果、セキュリティが上がる。側近たちはこういう事態にしようと思って報告していたのか。そうではない。彼らは彼らでよかれと思った。たぶん、彼らにはそう見えたのでしょう。こういう状態になると不安と恐怖が高まる方向にいってしまう。同じ構造がオウムの中にもあった。

宗教の問題
 2つ目は宗教。なぜ人間は宗教を求めるのか。これは僕の持論ですが、人間は唯一死ぬことを知っている。自分はやがて消える。怖い。宗教は死後の世界を担保します。死んだあともこういう世界が待っている。だから安心して生を全うしなさい、というのが宗教の働き。それが嘘か本当かは別にしても、それがあるから人間は安心してこの生を全うできる。宗教は生と死を韜晦する。あるいは転倒してしまう。自分に対して生と死が転換してしまうと、他者に対してもそうなる。ジハード、もしくは自爆。簡単に人を殺すことができる。宗教は戦争と結びつきが強い。とても怖いが人間にとって必要なものです。

 まさしくオウムがそうですね。ポワという言葉がありました。殺してあげる。当時はとんでも世迷言とみんな言っていたが、あれは宗教の真髄です。彼らは本気で殺して幸せにしてあげようと思った。僕らから見ると、とんでもない矛盾ですが、彼らの次元から見ると整合性のある論理になる。第2次大戦のとき、日本中の在来宗教全部が戦争に協力しました。とくに一番協力したのは浄土真宗。総本山が出した布告があります。悪い英米をちょうやくして立派な人たちに生まれ返らせてあげましょう。これはポワです。

かつてのオウムのようになりつつある日本社会
 宗教がもつリスクとセキュリティ。この2つが重なってオウムはあの事件を起こした。残念ながら日本社会は凶暴・凶悪・マインドコントロールというレトリックでしかオウムを消化できなかった。メディアはそういう形でしか提示できなかった。それによって日本社会自体のセキュリティが高まり、かつてのオウムのようになりつつある。出口をみんな求めている。この場合の出口は仮想敵。宗教集団、北朝鮮、という状況が日々濃厚になってきています。

 いま、死刑の本を書いています。きっかけはオウム。死刑囚を取材しながら、この人たちはいずれ死ぬんだな、という思いがある。戦後の死刑事件でえん罪が確定したのは、免田事件、松山事件、財田川事件、島田事件の4事件。免田事件は物的証拠とされた凶器の鉈や血染めの服が消えました。検察が裁判中に破棄したからです。最初から証拠物件はなかった。検察が捏造した。それで人が死ぬんですよ。検察はやっちゃうんです。

 あるいは、いまの袴田事件がそうです。最初はパジャマを着て一家4人を殺したと言った。血染めのパジャマが証拠ですと言った。裁判の途中、味噌樽から違う衣類が出てきた。検察は最初パジャマを着ていて途中で着替えたというように変わった。着替える理由がわからない。しかも、味噌樽から出てきた服のサイズが合わない。すると、味噌で縮んだというとんでもないことを言う。これこそ詐術です。詐術以外の何ものでもないが、それがまかり通ってしまう。

 供述調書が証拠として最優先される。本人が裁判で違うと言っても認められない。非常に歪んだ司法。オウム以降、刑事司法が危なくなっている。政治、司法、メディアはポピュリズムを免れないが、とくに司法が激しい。民意に引っぱられている。どんどん厳罰化が強くなっている。その結果、死刑判決が出ている。90年~95年の5年間と00年から05年の5年間に地裁における死刑判決が3倍に増えています。

メディアは本当に期待できないのか
 メディアがきちんと機能しなければならないが、メディアは競争原理のもとでそれができなくなっている。しかし、本当にできないのか。僕は「ニュースステーション」立ち上げのころADをやっていました。放送のあと毎日反省会がありました。あのころは毎日殴り合いをしていました。プロデューサーとディレクターがつかみ合ったりしていた。久米さんも怒鳴った。毎日のように自民党から圧力があった。スポンサーからも圧力があった。みんな怒ったが、最後は従う。

 圧力に対し、みんな怒る。その結果どうなるか。番組のナレーションがちょっと変わる。なんとかだけど、「だがね」とか、映像がちょっと変わる。いまの報道ステーションの反省会をちょっと見ましたが、シャンシャンで終わっていた。摩擦がない。たぶん圧力がある。圧力に負ける。その構造は昔もいまも変わっていない。しかし、摩擦があるかないかで、大きく違う。かつてはあった。それがどんどんなくなっている。摩擦を取り戻せばたぶん変わる。組織は変わらなくても、一人ひとりは変わる。一人ひとりがなんで自分はメディアをやっているのか、それを考えればそんな難しい話じゃない。一人ひとりが変われば組織も変わる。

 映像メディアは戦争を支えてきました。テレビは化け物。負が大きいが、逆になれば大きな正になる。宗教と同じです。危険な存在だが、宗教もメディアも水や空気と同じように必要。悲観的になるだけでなく、引っくり返せば正になる。メディアをどう使うか。いまが一番気を抜けないとき。メディアは発信すると同時に受け取る場でもある。メディアと同時に視聴者も一人ひとりが緊張感をもちながらこれからの10年をどう生きるか。このあとの展開で世界が大きく変わるのではないか。

筆者の感想
 東京新聞記者の望月さんのお話で興味深かったのは、記事を書いたあとの反応を2ちゃんねるなどで確認しているというお話でした。弁護士などの書き込みがあり、自分の書いた記事を読んで、いろんな反応や手ごたえを知ることができるそうです。森さんも、メディアに対する批判は多いが、良い記事や良い番組に対し、新聞社やテレビ局に電話やFAXやメールなどを送り、褒めてあげることがメディアの翼賛化を防ぐために効果があるのではないか、と話していました。

 森さんのお話の中でもっとも興味深かったのは、麻原彰晃の1審死刑判決確定に対するお話でした。森さんは法廷の麻原を見て、典型的な拘禁障害に陥っていると述べ、きちんと精神鑑定を行うべきだと主張しています。裁判所の精神鑑定医によると、麻原は詐病だということですが、その根拠が、エンピツをつかんだから、というのは、素人の筆者にも納得のいかない判断であるとの感想を持ちました。接見した弁護側の5人の精神鑑定医の診断の通り、重度の拘禁性障害であるなら治療を行い、どこまでしゃべるかわからないが、なぜ事件が起こったのか、法廷でちゃんとしゃべらせるべきだという森さんの意見は、まったく正当な意見だと思いました。

November 24, 2009

JAP DISKO MIX

tofubeats:

cajon:

moteci:

jxaxgxuxaxr:

JAP DISKO MIX

DJMIX BY J.A.G.U.A.R. 
72分32曲

◆Download◆
http://www.megaupload.com/?d=2XPFS763

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「Lilac(Fran-Key Remix)」Port of Notes
「あなたなしでは生きてゆけない」Berryz工房
「大スキ!」広末涼子
「テレポーテーション~恋の未確認~」橋本潮
「魔法のカーペット」中原めいこ
「ふわふわふるる(Intensive Remix)」tohko
「太陽手に月は心の両手に(FK RE-EDIT)」UA
「雨が叫んでる」田原俊彦
「裸足の女神」B’z
「LOVIN’YOU」横山輝一
「ダンシング・ジャンク」SUPER MONKEY’S 4 
「DOWN TOWN GAME」GWINKO
「By Yourself」森川美穂
「Virgin Eyes」中山美穂
「ときめきの導火線」今野友加里
「SHINING SOUL」清水咲斗子
「SILENT SURVIVOR」KODOMO BAND
「noite」SLY MONGOUSE
「error」ちわきまゆみ
「ラッキーカラー」SHY
「SUN SHOWER」島田奈美
「Baby!Baby!Baby!」AKB48 
「フライデイ・チャイナタウン」松浦ひろみ
「微笑みの爆弾」I’iwi
「タイムマシーン・ラヴ」流線形
「Funky Flushin’」中澤真由
「涙の半分」田村英里子
「Catch You Catch Me」グミ
「夏のミラージュ」和田加奈子
「翼にかえて」森川美穂
「あいたい」大江千里
「オレンジ・ミステリー」長島秀幸

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DJジャガー!

November 23, 2009

鈴木勲 /Nica´s Dream

歌う、歌うベース。

November 18, 2009

ヒップホップは自己愛に満ちた音楽である。こんな俺だけどカッケーベ!といったある種の開き直り、そこに痛快さがある歌詞世界。ある意味これは自己肯定の音楽なのである。ニューヨークのゲトーの住人たちのメンタリティが世界に飛び火してヒップホップはでかくなっていった。それが正しかろうが正しくなかろうが、俺はこうだと言い切る強さ。そこにこの音楽の根源があるのだろう。つまり揺るぎない意志を持ってヒップホップは作られるべきなのだ。そこで彼らが戦ったのは自分たち自身であっただろうことは疑う余地もない。さっき彼らはどん底から這い上がってきたと言ったが、その正に「どん底」な時代に意地の悪い人間はよくこう言ったものだ。「なんで日本人がラップする必要あんの?」と。「あれは黒人の文化でしょ」と。これは高校生だった当時の俺自身も何度となくまわりに言われたことだった。屈辱だったが無理もない、なぜなら小さかった当時のシーンの外の人間たちには日本語でのラップの仕方さえ想像できなかっただろうから。そしてその意義もわからなかったに違いない。「ラップなんてノリ一発のものでしょ、それが出来るのはリズム感のいい黒人だからでしょ」などという今考えれば人種問題とも取られかねないような極論がまかり通り、それは同時に世間の大多数の意見だった。それを長い年月をかけて先人たちが一歩一歩わからせてきたのだ。「日本人だってラップしたい!」「日本人だってラップ出来る!」「日本人だってラップする意味と意義がある!」これは本当に今の若者には想像つかない心境なんじゃないだろうか。今の日本に「ヒップホップ」が根付いたのかはわからない、だが日本人がラップ出来ることは今の若者なら誰でも知っている当たり前のことなのだから。


その「当たり前」を作ったのがさんぴん世代とそれ以前のパイオニアたちなのだ。ヒップホップを生きることはこの国ではもともとリスキーなことであったのだ。金にもならない、女にもモテない、理解すらされない。だが彼らはマイクを置かなかった。ただただラップがしたかったのだ、狂おしいほどに。そこに見返りを持とうとしたなら続けられるわけがなかった。そんな時代があったのだ。そのことをシーンの住人たちは忘れてはいけない。そしてもちろんライムスターがそれを忘れるわけがなかった。その昔マイクロフォンペイジャーが提示したのはニューヨークのヒップホップのライフスタイルだった。その歌詞世界も向こうのシーンに影響を受けたものだったし、そこがクールでスタイリッシュな理由だったわけだ。だが一方ライムスは音楽性は確かにどこまでもヒップホップだったが、その歌詞世界はペイジャーとは対極にどこまでも泥臭い日本人独自の感性に満ちていた。彼らは東京をニューヨークに見立てて歌詞を書くことが出来なかった、なぜならそれは幻想であるからだ。USのヒップホップを聴きながらも俺たちは米と納豆を食うのだ。チキン&ワッフルではなく。欧米か!否、ここは日本である。つまり彼らは「アメリカ的である」ことを初めから諦めていたし、そこからでないとオリジナルな何かなど生まれるはずもないと思っていたのだろう。


では「アメリカ的」な美学を歌詞から排除し、日本人であることを肯定した上でどうヒップホップを説明するのか。それが彼らの命題であった。彼らは英語が話せる一部のラッパーとは違い、この国の大多数の日本人と同じく日本的であった。欧米人じゃない、ゲトー出身でもない、不良だったわけでもない。じゃあ何に惹かれた?ヒップホップの何が自分たちをここまで突き動かした?そこを提示したかったのだろう。そして彼らはそれが「メンタリティ」であることに行き着いた。アメリカのゲトーの住人たちがホワイトアメリカに対して持っていた劣等感がこの文化のパワーの源ならば、日本人が欧米人に対して持つ劣等感がパワーにならないわけがない。なんせ我々の国は敗戦国なのだ。だから陳腐な言葉だがやはりヒップホップは「勝ち上がり」や「下克上」を目指す文化なのだ。既存の価値観を、ゲームをひっくり返すこと。それを「何ものにも媚びず」成し遂げるために「己を磨く」こと。それこそがヒップホップがヒップホップ足る理由なのだとライムスは考えたのであろう。そしてその意思が固まり、音源として世に放たれたのは前作エゴトピアから三年以上が経過した98年だった。彼らはヒップホッパーのメンタリティを「Bボーイイズム」と呼び、それを曲名に掲げてついにシーンにカムバックしたのだ。前述のユウザロックによる「ヒップホップナイトフライト」の放送で俺は初めてその曲を聴き、ぶっ飛びまくって椅子から転げ落ちた。

November 13, 2009

餓鬼RANGER 『MONKEY 4』

レイト 馬鹿な奴